愛車遍歴1台目の話。其の1。「alfaromeo 2000GTV」
こんばんは。
pirosshiです。
ブログ8日目。
今日は旧車を持つということについて少し。
今僕は、alfaromeo GT1300Jr (1967) とヤマハDT1(1968バイク)を所有しています。
昨日書いた通り、バイクは手放す方向になっています。
趣味が車ですが、今までの愛車遍歴をお話いたします。
普通自動車免許は22才(大学4年生)で取りました。当然MTです。
当時は自動車学校に通うのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。家から少し遠いし、予約は取れないし、、、、。
当然、全く車に興味はありませんでした。街ゆく車を見ても車名なんてわかりません。
免許はなんとか一度も不合格にならず、一発で合格。ただ、車に乗るということは考えられませんでした。(バイクは昨日書いた通り、4回落ちました。ただ、免許が欲しい!というモチベーションがありましたね)
で、大学には自転車で通学していたのですが、毎日通る道にアルファロメオの大きなエンブレムマークを壁に書いているイタリア車専門店がありました。その近くにはミニ専門店もありました。
ですが当然、その頃は全く興味ありません。赤いオープンカーが止まっているなあ程度です。
そんなこんなで社会人になって、周りが車を持ち始めた時に、自分も車欲しいなあーと思い始めました。
その時に原風景のようにフラッシュバックしてきたのがアルファロメオです。
「そうだ、アルファロメオにしよう!」決心します。
27才です。
もともと少し天邪鬼なところもあり、みんなと同じものでは気が済まない性格です。
なのでその辺りから自動車雑誌を見まくっていました。当時はイタリア本国でアルファ147が発売されたばかりです。
で、当然、147が欲しくなりました。日本ではまだ145、155、156しか売っていません。
そんな中、アルファロメオ雑誌を見ていると、なんじゃこれは!!!と目に飛び込んでくる車がありました。
アルファロメオのジュリアシリーズです。
寝ても覚めてもジュリア一色になってしまいます。
ただ、売っている店あまりなく、古いくるまが維持できるのか?色々不安がありました。
インターネットがやっと普及してきた頃でしたので、情報といえばカーセンサー等の雑誌しかありません。
そんな中、偶然ジュリアに乗っている方と知り合えました。(インターネットですが。その方のブログに連絡を入れちゃいました)今でもその方とは交流が続いていますが、生みの親だと思っています。
で、その方から数台の個人売買情報をいただきました。そして、個人オーナーの方に連絡をして即会いに行くことに。
愛車探し1台目は神奈川に住むダンディなおじさま。真っ赤な2000GTVでした。
間近で見る2000GTV。未だにあの時の感動は忘れられません。エンジンをかけていただき、あの爆音!!今の嫁と一緒に見に行ったのですが、それはもう近所迷惑甚だしいくらいの爆音でした。(今乗ってるGT1300Jrはきっともっと爆音です。。。)
隣に乗せてもらい、近所も走っていただきました。感動しかありません、、、、。古いくるま、なんて感覚はなく、とにかくかっこいい!しかありませんでした。
しかし、生みの親に連絡をして結局は見送ることに。結構、各所に錆があったので。
旧車の一番の敵はサビです。古い鉄板、古い塗装のためすぐ錆びます。雨の日に乗らないのは当たり前、それが旧車です。
続いていただいていてた情報を元に山梨の富士市に行きました。
そこはガレージに様々な旧車を並べているショップでした。
そこにも美しい2000GTVが!!!そう、4つ目の2000もしくは1750GTVを探していました。
そこではナンバーがついていたため、試乗させてくれました。慣れないマニュアルで。。。。
結果、そちらでみた2000GTVを購入してしまいました。
120万円でした。はっきりと覚えています。
納車まで約一ヶ月、寝ても覚めてもアルファロメオ。いろんな雑誌を見たり、小物を買ったり、待ち受け体制を整えていました。
そして待ちに待った納車当日。
遠方からトランポに乗ってくるということで、早朝5時半に自宅近くに行きますとのことでした。
今でも納車の時のことは鮮明に覚えています。
おぎやはぎの愛車遍歴でも度々耳にする言葉ですね。
一生忘れないでしょう。(その時嫁は布団の中で寝てました。これも忘れないでしょう。。。)
納車されて、手放すまでの約3年、いろーんなことがありました。
その話を、また明日したいと思います。
↑ こいつです。憎めないヤツでした。。。。
完全に日記と備忘録ブログになってますが。。。。。
続けるという目標ですので多めにみてください。。。。
副業です。。。。
目標を忘れずに。。。。
では。